日曜日、道を歩いていたら前方右側からベビーカーを押す男性がやって来ました。少し前をゆっくりと進むベビーカーの持ち手に、明るい黄色が印象的な絵が描かれた、青いバッグがぶら下がっています。追い付いてみると絵はゴッホの『夜のカフェテラス』。
絵を眺めていて、ふとバッグからのぞく絵本が目に入りました。『はらぺこあおむし』のタイトルと見覚えのある絵。他にも数冊の絵本が入っています。図書館に近い道の上だったので、おそらく借りた本を返しに行くところなのでしょう。
どんな子がこれらの絵本を読んでもらったのか興味が湧いて、追い越しざまにちらっと眼をやりました。乗っていたのはムチムチとした7-8ヶ月くらいの赤ちゃんでした。お父さんの膝に抱えられて、絵本を読み聞かせしてもらっている赤ちゃんの姿が思い浮かびます。
言葉の獲得は、まず「聞く」から始まるといいます。赤ちゃんは胎内ですでに言葉を学び始めています。羊水やお母さんの腹壁を介して色んな音を聴いています。安全に守られていたお腹の中から外へと出ると、赤ちゃんは洪水のような様々な音に晒されます。音の洪水の中から、赤ちゃんはお腹の中で馴染んでいた母語に強い関心を示します。
そして色んな人に話しかけられたり、周囲の人たちの会話を聞いたり、読み聞かせをしてもらったりして、どんどん言葉(母語)に親しみ、覚えていきます。「話す」のは十分に聞いた後です。
休日に赤ちゃんと一緒に図書館に通うこのお父さんは、赤ちゃんに沢山の豊かな言葉を語り聞かせているのかな?おそらく。願わくば。
ピアノを習い始めました。
10年ほど弾かれていなかったピアノを譲り受け、調律をしてもらいました。「とにかく弾いてあげて下さい」と調律師さん。せっかくなのでピアノ教室に通うことにしました。ピアノは全くのド素人です。初回のレッスンでは手の形や置き方、指の動かし方、椅子の座り方など、イロハのイから教えてもらいます。
「指は真っすぐ伸ばすのではなく、軽く曲げて。」
「指の腹ではなく、指の先端で。」
「指を持ち上げる時は、足で腿上げをするようなイメージで。」
「椅子は浅く腰かけて、いつでも立ち上がれる感じで。」
ふむふむ、なるほどと思いながら、先生の指示に従い、教本に沿って指を動かします。
楽譜の上下には数字が振られています。上の数字は右手で、下の数字は左手。番号は右手も左手も親指が1、人差し指が2、中指が3、薬指が4、小指が5です。両方の掌を下にして並べると、内から外へと1から5です。
ピアノの鍵盤に指を置くと、右手は親指がド、左手は小指がド。数字は右手の親指は1、左手の小指は5。ドレミファソは右手が1、2、3、4、5で、左手は5、4、3、2、1。音符、上の数字、下の数字、右手の動き、左手の動き、混乱が生じます。
あ、間違えた。あっ、また間違えた。
右利きの私の左手は、ぎこちなく動いています。
「まず右手で弾いて」「次に左手で弾いて」「次は両手で弾いて」
「これはまず左手で弾いて」「次に右手で弾いて」「次は両手で弾いて」
「今度は最初から両手で弾いてみて」
混乱、混乱。
拙すぎるピアノを弾きながら、子ども達の体の使い方が頭をよぎります。体の中枢から末梢へと、分離した動きを獲得していく過程を思い出します。子どもが新しい動きを経験していくように、私もこれまでやったことのない動きを経験中です。子どもが脳内に新しい神経回路を作っていくように、私の頭の中でも新たな回路が作られつつあります。2回目のレッスンに向けて、新たな回路が開かれるイメージをしつつ指を動かす日々です。あっ、また間違えた。
皆さんも新しいチャレンジいかがですか?